「私は肺癌なのです」
初診の場で、自分が癌であると口にした患者に出会うのは、医師の今井にとって初めての経験だった。
患者の名前は、山中静夫。自宅がある静岡の総合病院からの紹介で、今井のいる信州の総合病院にやって来たのだ。
紹介されてきた資料によれば山中さんは、腰の骨と肝臓に転移のある腺癌というタイプの肺癌で、明らかに末期の状態だった。予後は一ヶ月から三ヶ月の間と思われた。付き添う家族の負担を考え、今井は山中さんに今まで通り静岡の病院での再治療をすすめたのだが・・・、
「最期のところで、楽にするような薬を使ってもらえますか」今井の言葉をさえぎるように山中さんは続けた。
「どうせ死ぬんだったら生まれ育った信州の山を見ながら楽に死にたいと・・・」
それが、末期癌で余命を宣告された山中さんの最期の願いだったのだ。
山中さんは、さらに自分が動ける間は病院からの外出許可を求めて来た。
「生まれた村でやっておきたいことがありまして」
今井は、山中が自分のふる里で何をやろうとしているのか、まったく分からなかったが、決して無理はしないことと夕食までには必ず戻るという条件付きで許可を出した。
今井も疲れていた。長年呼吸器内科を担当し、あまりにも多くの死んでいく人間を診すぎていたのだ。そしてついに今井は、うつ病になってしまう。
うつ病になりながらも、死んで行こうとしている山中さんの希望を叶えようと立ち向かうのだった。
やがて、毎日病院を抜け出している山中さんの目的は、ふる里の村の墓地に自分の墓を作っていたことが分る。
今井も、なんとか完成させてやりたいと思うようになっていた。
しかし、時間はない。最後の時は刻々と迫って来るのだ。そして山中さんは、穏やかに自然に死んで行ったのだ。
一人の医師として山中さんの尊厳死に立ち会った今井は、身も心も極度に疲労していたのだが、そんな中でも小さな明日への希望のようなものが見えていたのだった。
とても重く考えさせられる映画。観終わった後には力強いものが残る。人生を大切に一所懸命生きていこうと、優しい心になっていく自分を感じる。すごい映画だと思う。この作品に出演出来たことを誇りに思う。私の心の宝物になった。
中村 梅雀
実直に死に向かおうとする山中静夫氏と自分がコワレそうになっても誠実に看取ろうとする津田寛治さん演じる医師の姿に静かな勇気をもらいました。
高畑 淳子
浅間山の麓で何人もの死にゆく人を見送った臨床医として、これまでに類を見ないほどチャーミングな癌患者、山中静夫さんと一緒に登った山の頂きからは、透きとおった不思議な風景が望めました。そこで垣間見た生死の真実を、一人でも多くの人に観ていただきたいです。
津田 寛治
「自らの死に方」を選ぶことは「自らの生き方」を選ぶことなんだと思いました。そしてその生き方を周りや家族が受け入れることは本人も気づかないくらいさりげなくて深い愛情で、そんな想いがいろんなところに静かに散りばめられている何回も観たくなる映画です。
田中 美里
尊厳死...人間が「人間としての尊厳」を保って死に挑むこと。私は「死」を目の前にして、このように目的を持って生きていけるのだろうか...迫り来る「死」と向き合えるだろうか...誰にでも来る「死」 医療の進歩によって自分の死期を知ることはいいのか、悪いのか...考えさせられる。
浅田 美代子
人は誰でもいつか必ず死を迎えることになる。歳を重ねるごとに自分がどんな形で死を迎えるのかを考えることも多くなる。そんな限りある命だからこそ、今を大切に一生懸命生きて行こうと思えるような映画になったと確信している。
監督・脚本村橋 明郎
ロケの合間に、病室から⾒える山に登ってみた。三⽅が峰、籠の登山、黒斑山、そして浅間山。山中静夫⽒のふるさとの浅間山群の頂から眺めると、病院はこじんまりとした街の一角に立っている。終のすみかの選択に、人の生涯の歩み方を教えられた。
石丸 謙二郎
仕事が無い撮影助手だった僕は女房をアオイスタジオのカフェでバイトさせていた。そこで駆け出しの津田寛治もバイトしていた。あれから40 数年、こうして寛ちゃん主役の、こんな立派な映画を撮れたこと、感動の極みです。初号試写のあと、抱き合って泣きました。
撮影監督髙間 賢治
【山中静夫氏の尊厳死】の編集を担当しました。プロデューサーが私に編集の依頼を受けた時の衝撃が今も思い出します。年をとった私にとって身にしみる脚本でした。編集では、監督のイメージを大切に佐久の風景と人間の生き方を大事に編集したつもりです。この映画は私の心の一本です。
編集金子 尚樹
とても重く考えさせられる映画。観終わった後には力強いものが残る。人生を大切に一所懸命生きていこうと、優しい心になっていく自分を感じる。すごい映画だと思う。この作品に出演出来たことを誇りに思う。私の心の宝物になった。
中村 梅雀
浅間山の麓で何人もの死にゆく人を見送った臨床医として、これまでに類を見ないほどチャーミングな癌患者、山中静夫さんと一緒に登った山の頂きからは、透きとおった不思議な風景が望めました。そこで垣間見た生死の真実を、一人でも多くの人に観ていただきたいです。
津田 寛治
実直に死に向かおうとする山中静夫氏と自分がコワレそうになっても誠実に看取ろうとする津田寛治さん演じる医師の姿に静かな勇気をもらいました。
高畑 淳子
「自らの死に方」を選ぶことは「自らの生き方」を選ぶことなんだと思いました。そしてその生き方を周りや家族が受け入れることは本人も気づかないくらいさりげなくて深い愛情で、そんな想いがいろんなところに静かに散りばめられている何回も観たくなる映画です。
田中 美里
尊厳死...人間が「人間としての尊厳」を保って死に挑むこと。私は「死」を目の前にして、このように目的を持って生きていけるのだろうか...迫り来る「死」と向き合えるだろうか...誰にでも来る「死」 医療の進歩によって自分の死期を知ることはいいのか、悪いのか...考えさせられる。
浅田 美代子
ロケの合間に、病室から⾒える山に登ってみた。三⽅が峰、籠の登山、黒斑山、そして浅間山。山中静夫⽒のふるさとの浅間山群の頂から眺めると、病院はこじんまりとした街の一角に立っている。終のすみかの選択に、人の生涯の歩み方を教えられた。
石丸 謙二郎
人は誰でもいつか必ず死を迎えることになる。歳を重ねるごとに自分がどんな形で死を迎えるのかを考えることも多くなる。そんな限りある命だからこそ、今を大切に一生懸命生きて行こうと思えるような映画になったと確信している。
監督・脚本 村橋 明郎
仕事が無い撮影助手だった僕は女房をアオイスタジオのカフェでバイトさせていた。そこで駆け出しの津田寛治もバイトしていた。あれから40 数年、こうして寛ちゃん主役の、こんな立派な映画を撮れたこと、感動の極みです。初号試写のあと、抱き合って泣きました。
撮影監督 髙間 賢治
【山中静夫氏の尊厳死】の編集を担当しました。プロデューサーが私に編集の依頼を受けた時の衝撃が今も思い出します。年をとった私にとって身にしみる脚本でした。編集では、監督のイメージを大切に佐久の風景と人間の生き方を大事に編集したつもりです。この映画は私の心の一本です。
編集 金子 尚樹